うつくしま、ふくしま。こころと身体のいやしフェア

 なんて久しぶりの更新でしょう。

約1年、いろいろありすぎてブログ更新を怠っておりました。
・・というか、手軽なフェイスブックのほうで近況をアップしてました。

取り急ぎのお知らせがありまして、記事を書いております。

11月30日(土)は、福島市の駅ビルエスパル福島5F、ネクストホールに出張します。

第一回のこんなイベントが・・・

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「自分らしく生きる」ための出会いの場となるような主旨のイベントです。

わたしは“食・身体の健康”としてブースを設け、『ローフード体験』をさせていただきます。

自分の約5年のローフード生活を、ご興味のある方にシェアしたいと思っています。

わたしはローフードは「自分自身を知る」ためのツールとなる食事法だと考えています。

福島県ではローフードはまだまだ知られていないらしく、主催の方々も興味津々のようです。

ご期待に応えられるよう、頑張ります!

当日、ローフードに関する書籍販売やイーツ・アーツのパンも販売します。

お近くの方はぜひお越しください!

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ローフードでピースフルな出会いが嬉しいな。。。

RawFooodcafeファミスランドは、10月21日をもちまして閉店いたしました。シェフmoeはドイツにて新しいスタートを切り、イキイキ頑張っています。応援してくださいね!

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Stollen!

イーツ・アーツでは今年初めて、シュトーレンを販売します。

長年お問い合わせやリクエストをいただきながら製造に踏み切れなかったのですが、今年は何か新しいことをやりたくなって、いよいよ実現いたしました。

甘すぎるのは嫌だし、生地は天然酵母で重厚にしたい・・・何度も試作をして、オリジナルなものが出来上がりました。

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お申し込み方法はこちらです

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raw food のシュト―レンもトライするつもりです。
カフェ・ファミスランドもクリスマスイベントを企画中!!

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生きているパン

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 毎週土曜日限定のパン屋を始めて、20年になろうか。

始めた頃には、日本にはハード系のパン屋はめずらしかった。ベーグルも売られていなかった。ニューヨークで虜になったそれらのパンを帰国後独学で作り始めて、いつしか薪窯と工房を構えていた。

来る日も来る日も、家事、育児、パン種の世話・・・。

繰り返し繰り返し繰り返してきた日常の中に、すっかりパン作りのサイクルも組み込まれてしまった。

私の人生の大半を占めたパンを焼く生活。

妊婦の時も、産後間もなくも、7人の母となった子育て中も、旅行にも、春夏秋冬休みなく

パン種を傍らにその生活はあった。

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自慢の焼き菓子の数々は、噛み応えのあるどっしりとしたパンたちにひけをとらないくらい量感があって個性的で、素朴だけれど本当に満足感のあるものを創作してきた。

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そんなパンや焼き菓子をずっと食べ続けて育った我が家の子供たちは、虫歯もなく、病気や大きな怪我もせず、きょうだいみんな仲が良い。

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[Who are what you eat]・・人は食べたものでできているというのなら、うちの子たちの身体は半分くらいはパンでできている?

夫は日本人のくせに米を食べたがらず、自家製パンとワインを好むので、毎日の食卓に無くてはならないものとなってしまった。

天然酵母は生きている。
愛情をかければ応えてくれるし、日によって元気だったり調子悪そうだったり、もちろん放っておけば死んでしまう。
たとえ火に焼かれてパンとなっても、酵母の味わいは日々変化する。

芸術の道を志していたのに、私はどうしてパンをパートナーにしてしまったのだろう。。。。と、時々思う。

パン作りも創作活動、との思いで直感でつけた店名「EATSARTS(イーツ・アーツ)」。

2年前からローフード(非加熱の菜食料理)カフェを併設し、食とライフスタイルをバージョンアップさせてきました。

もっとやれることがあるのではないか?

そしていま、もっと独自なものを極めたい・・・とも思っている。

よりピースフルに生きるために、ヒーリングになると同時にわくわくするような空間を作り出したい。。。と願っています。

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『天の果実』~島剛彫刻展のお知らせ

  銀座のギャルリー志門にて、10月1日(月)~6日(土)夫が個展をします。

大家族のダディでありながら、芸術の道を貫いている彫刻家である夫の渾身の新作をぜひご覧ください。

本人も期間中は毎日在廊予定。

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新作の陶彫作品と素描作品を展示します。

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制作イメージ

歩いた永田川流域は全てに生命が輝きみなぎって、それぞれの場所に精霊が宿り言葉する世界であることを感じた。そして、精霊を束ねる神が、おそらくは立ち上がる奥岳(八重岳)にあって、流域の全てを見渡していると信じてよい。私はその中に立ち入り、それらの生命と分け隔てのない者として取り込まれたのである。私の命が私のものではなく、生命の総体の器から、たまたま流れ出たものとしてあることを感じていた。その器に帰る自分の姿を想像し、いつでもこれを受け入れ承知する諦めの心得が、自分にも備わっていることに気が付いていた。神は決して恐ろしくも優しくも、慈悲深くもない。生命を束ねるものとして、ただそこにあるだけであった。

 

内地究員研究レポート⑤ (平成15年度、屋久島でのフィールドワークの記録) 「第5次 島まわり登山―永田川遡行 実施日平成15101618日」から抜粋

 

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ファスティングをクリアしたのに、トホホな結末。

 7月1日にクレイセラピーやジュースファスティングの講座を受け、「よし、夏の期間にぜったいやるゾ!」と思っていたのが、やっと実行できました。

9月半ばになっても真夏のように暑い日が続き、疲れが溜まっているのを自覚していたし、生まれかわったようにスッキリして自分の誕生日を迎えたい!と気合を入れて臨みました。

教わった5つのデトックス法をすべて実行し、最大の効果を期待して、まずは9月16日(日)から5日間のジュースのみの生活が始まりました。

毎朝、できるだけオーガニックの人参、キャベツ、レモン、その時ある果物をジューサーで絞り、足りなくなるとまた絞り、合間でハーブティーを飲んだり・・・と1日中液体だけを摂取します。

1日目は軽く気楽に過ぎた気がする。

2日目は、夫とともに愛知県まで日帰りで行くことになったので、朝5時に出るので時間が無~い!と、グレープフルーツを5個分大急ぎで手で絞ってネットで漉し、ペットボトルに入れて出発。

展覧会を見るために茨城から愛知まで車で往復1000キロ。交代で運転したけれど、私が助手席にいる間はほとんど寝てしまった。エネルギー節約モードになっていたようだ。

片道6時間の往復で夜12時半帰着。お腹はあまり減らず、持参したグレープフルーツジュースをちびちび飲んだ。夫は構わず随所でお腹を満たしている。それでも平気だった。

3日目は完全無気力状態。でも家事とパンの仕込みはちゃんとこなす。家族のご飯作りも、自分がファスティング中だからといって、やらないわけにいかない。でもどうせ自分は食べないし~と思うと、いつもよりガッツリ系の加熱食をしっかり作ったら、男の子たちは大喜びだった。

4日目は少し気楽になって、ひまし油パックを施しリラックス。固形食のことは忘れてしまったくらい。いつも食べすぎていたのだなぁと反省。体重が3キロ減った。

5日目、最終日。あと数日はジュースだけでいけそうに思ったりして。ひまし油パック2回目とコーヒーエネマをやったら、極楽気分。明日の朝から食べていいんだ・・・と、やっぱり嬉しくなる。
眠りにつく時、あの幸福感は何だったのだろう?体が空間に解放されて、「幸せ~」と広がっていく感じ。ちょっとスピリチュアルなメッセージが到来して、『悲母観音』のイメージが現れた。不思議な幸福感に包まれてぐっすり眠る。

Kabenoe_800x600〈カフェの壁にかかっているお気に入りの絵。カナダ旅行の際に買った先住民のアーティストの絵画〉

6日目、朝はスムージーを飲む。それだけで満腹。昼もやっぱりスムージーで満足。3回目のひまし油パック。お風呂では全身クレイパックで毒素排出を促進させ、身体の外側も内側もほんとうにスッキリ!!
夜は発酵食品が食べたくなって、納豆とキムチともずくと玄米をよく噛んで食べた。

7日目、食欲が無いというか、お店の日だったので忙しく、前の晩12時半に起きてパン焼きスタート、パン屋とマルシェとカフェの準備の合間でスムージーを1杯。
この日は東京で2か所にパンの納品、10月1日から夫が個展をやるギャラリーでのシンポジウムに出席のため店を任せて上京。
ギャラリーのワインパーティーで飲んだ夫を載せて帰りは車を私が運転し、夜10時半に家に帰るまで食事をせず。
ハードな一日だったが、それでもデトックスが無事終了し、頭も体も気分もスッキリしていたせいか、いつもよりパワーが発揮できているつもりでいた。

で、家に帰ると私の誕生会が始まったのでした。夜遅かったのにみんなで待っていてくれて、パーティーは深夜2時まで続いたのでした。。。

・・・・ここからがトホホなお話。

一夜明けて、デトックスを始めて1週間後の日曜日、お泊まりした2家族がそれぞれ帰って行った直後、ついに限界が来た私。
土曜日の夜から、突然右肩が痛みだしていた。手で触れてもビリビリと痛むし、首が回らない。なぜか右側だけ、背中から胸までが突き抜けるように痛む。朝、首をもたげて起き上がることもできず、やっとのことで起床した。食欲もなく、声も絞り出さないと出ない感じ。

こんなの初めてだったし、48歳になった途端にガタが来たのかと気持ちも沈んだ。
呼吸が苦しいため寝てるのもつらいので、思い切って友人に助けを求め、鍼灸院を紹介してもらった。日曜だったのに往診してくれることになり、生まれて初めてのプロのマッサージと鍼灸治療を受けたのでした。
た~っぷり2時間半にわたり、ガチガチの体をほぐしてもらい、針もお灸もしてもらった。

原因が特定できずにこうなったのは、もともと呼吸器が弱いとか、ストレスでは?と先生に聞かれたが、確かにそうかもしれない。「エネルギー切れではないかな?」と言われてしまって、身もふたもない。
娘には「お母さん、自分の健康を過信しない方がいいよ」と言われ、素直に認めるしかなかった。

今回のジュースファスティングとクレイ、ひまし油、エネマ、ローフードを組み合わせたデトックス法は、辛いものではなかった。からだの変化を楽しみながらやれたし、3キロ減量したし、久しぶりに会った人に「肌がキレイになった」と言われ、いいことづくめ。
いちばんの成果は、5日目のあの幸福感。
それは、子どもを産み落としたばかりの時に感じた至福の時を思い起こさせた。
あの体験が、再体験できた嬉しさは、何か新しいスタートを切れそうな、とてもポジティブな達成感に似ている。

でも、使うエネルギーをもう少し押さえないといけなかったかなと思うし、ちょうど季節の変わり目で急に気温が下がったことで体が冷えてしまったため、自分の弱いところにダメージが出てしまったのかもしれない。

どこまで毒出しができたかわかりませんが、この1週間の体験が、まだゆっくりとした変化をもたらしてくれることを楽しみに過ごしたいと思います。

・・・・もうすっかり肩の痛みは治りました。あの痛みによっていろいろ気づかされたこともあるので、まあ良しとしましょうか・・・

にほんブログ村 料理ブログ ローフードへにほんブログ村 家族ブログ 大家族へ まだまだチャレンジするゾ・・・。
Bread shop+Raw food cafe  EATSARTS

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ありがとう、子どもたち。。。。

 22日は私の誕生日で、48歳になりました。24歳で最初の子、34歳で最後の子を産みましたので、以来7人の育児に明け暮れてきました。

忙しい中でも、ひとりひとりの誕生日は大切にしてきました。
毎月のようにある誰かの誕生会。そのたびにケーキを焼き、ささやかなプレゼントを全員が内緒で用意するのです。サプライズを楽しむのが島ファミスタイル。

もうみんな大きくなったけど、未だにやっているし、きっとこれからも続くでしょう。

当日まで何がどうなるかわからないままです。

そう、22日も思いがけないことが・・・。

昨年福島に嫁いだ長女と独立した長男も集合してくれました。

ケーキは次女がお得意のローケーキを準備してくれていました。

そして、子どもたちからもらったプレゼントが、あまりに素晴らしくて感激しました。

私が知らない間に、全員がメッセージを書いてくれたハート型のアルバムです。

Card_2かわいい嬉しい、心のこもったプレゼントでした。

長女からの手紙に泣けました。

Letterお母さん、48歳のお誕生日おめでとう!! 

お父さんと結婚して丸25年かな?
大家族を支え続けてくれてありがとう!!
 

お母さんの苦労は本当に大変なものだったと思います。私たちには見せない涙もあたでしょう。でも、おかげ様で兄弟たちは皆立派に大きくなり、私も結婚することができました。長い間本当にお疲れ様でした。 

中でも私は一番苦労をかけ、悲しい思いもさせてしまったと思っています。今はまだ未熟者ですが、早く一人前になって、お母さんを楽にさせてあげられるようになりたいです。
もうすぐ私は、お母さんが私を産んでくれた歳になります。
ずっと「お母さんのようなお母さんになりたい」と思ってきました。
 

今の私にはまだまだ長い道のりですが、これからもずっとお母さんを目標に、お母さんのようになれるよう頑張っていきたいと思います。
そして、お母さんが築いてくれたような温かい家庭を築くこと、それが夢でもあり、一番の恩返しになると思っています。
どうかずっと見守っていてください!!

    今まで本当にありがとう。そしてこれからもよろしくね☆
    体に気を付けて長生きして下さい。

・・・と、結ばれていました。

子どもたちにこそ感謝をしたい私なのに・・・みんな、ありがとう!!

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屋久島の詩人、山尾三省の遺言が示すもの

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  私たち家族が初めて屋久島を訪れたのは、2001年の夏だ。

屋久島の観光では行く人はまずいない、小さな山の中の集落に山尾三省さんを訪ねた。が、その日の朝、三省さんはお亡くなりになったところで、集落の人々があわただしく動いている状況だった。

家族での自然体験を求めて、翌年の春から二年間の屋久島生活を経験した。

三省さんの奥様の春美さんとは、同級生の子供もいて、親しくさせていただいた。春美さんの絵本の読み聞かせの会によく顔を出させてもらった。

私たちが茨城に帰る際、宮之浦港でのフェリーの見送りに、春美さんは手作りのクッキーに、ハンカチやお手紙を添えて渡してくださった。

もう10年になるのか・・・。

屋久島でお世話になった永田中学校の廃校が決まり、来春式典があると知らせが来た。

当時から町の合併や学校の統合の話があったが、ついに決まったのか・・・と淋しく思う。

子供たちを二年間育んでくれた屋久島。

家の子供たちも三人が成人になったし、いくら世界遺産の「太古の島」と言えど、ずいぶん変わっているだろうな。

三省さんが愛した自然の中での質素な暮らしを少しでも経験できた屋久島の思い出は、宝物のように家族全員の心に刻まれている。

8月28日が三省さんの命日なので、毎年8月の終わりが近づくと、三省さんを思い出す。
ご本人に会ったことはないけれど、多くの著作から親しみを覚え、その精神を敬愛してやまない。

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 18日、私の大好きだった叔父が、89歳で亡くなった。

千葉県君津市の、山の中の一軒家。『やまたろう』と呼ばれる大きな家。

その田舎が大好きで、子供のころ毎年夏休みに遊びに行って、自然体験をいっぱいさせてもらった。

木に登り、がけをよじ登り、虫を採り、農作物を獲り・・・何でも知っていていろんなことを教えてくれた叔父さん。

・・・自然の中での質素な暮らし。

君津まで車を飛ばし叔父さんにお別れをしてきた。

最後にあったのは、7月22日の、実家の父の七回忌で。

6人兄弟の長男である叔父。私の父は次男。

弟を先に無くしずいぶんと心を痛めていたという。

ひと月前に会った時はお元気だったし、亡くなった時も突然だったそうだ。

三省さんと通じる、私にとって偉大な人だった。

しかし、

死というものは、大きなメッセージを伝えるものでもあると思うのです。

三省さんの遺言があります。

原発のない世界も願っています。

三省さんの願いが届いていない現実社会。

それでも生きている人たちが

『世界を愛する』ことを自分の方法でするということ

それならばできそうだし、

三省さんのような詩人が屋久島に暮らしていたことを

知らなかった人に知ってもらう

そしていつか、

三省の遺言が予言だったと言える時が来るかもしれませんから、

私はそれを信じたいと思っています。

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子供達への遺言・妻への遺言
      
       山尾  三省

僕は父母から遺言状らしいものをもらったことがないので、ここにこういう形で、子供達と妻に向けてそれ書けるということが、大変うれしいのです。というのは、ぼくの現状は末期ガンで、何かの奇跡が起こらな
い限りは、2、3ヶ月の内に確実にこの世を去って行くことになっているからです。
そのような立場から、子供達および妻、つまり自分の最も愛する者達へ最後のメッセージを送るということになると、それは同時に自分の人生を締めくくることでもありますから、大変身が引き締まります。

 まず第一の遺言は、僕の生まれ故郷の、東京・神田川の水を、も
う一度飲める水に再生したい、ということです。神田川といえば、JRお茶の水駅下を流れるあのどぶ川ですが、あの川の水がもう一度飲める川の水に再生された時には、劫初に未来が戻り、文明が再生の希望をつかんだ時であると思います。

 これはむろんぼくの個人的な願いですが、やがて東京に出て行くやもしれぬ子供達には、父の遺言としてしっかり覚えていてほしいと思います。

 第二の遺言は、とても平凡なことですが、やはりこの世界から原発および同様のエネルギー出力装置をすっかり取り外してほしいということです。

自分達の手で作った手に負える発電装置で、すべての電力がまかなえることが、これからの現実的な幸福の第一条件であると、ぼくは考えるからです。

 遺言の第三は、この頃のぼくが、一種の呪文のようにして、心の中で唱えているものです。その呪文は次のようなものです。
 南無浄瑠璃光・われらの人の内なる薬師如来。
 われらの日本国憲法の第9条をして、世界の全ての国々の憲法第9条に組み込まさせ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべて
の国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え。

 以上三つの遺言は、特別に妻にあてられたものなくても、子供達にあてられたものでなくてもよいと思われるかもしれませんが、そんなことはけっしてありません。
 

ぼくが世界を愛すれば愛するほど、それは直接的には妻を愛し、子供達を愛することなのですから、その願い(遺言)は、どこまでも深く、強く彼女達・彼ら達に伝えられずにはおれないのです。
 つまり自分の本当の願いを伝えるということは、自分は本当にあなたたちを愛しているよ、と伝えることでもあるのですね。

 死が近づくに従って、どんどんはっきりしてきてることですが、ぼくは本当にあなた達を愛し、世界を愛しています。けれども、だからといって、この三つの遺言にあなたがたが責任を感じることも、負担を感じる必要もありません。

あなた達はあなた達のやり方で世界を愛すればよいのです。市民運動も悪くないけど、もっともっと豊かな”個人運動”があることを、ぼくたちは知ってるよね。その個人運動のひとつの形としてぼくは死んでいくわけですから。

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山尾三省(やまお・さんせい)、詩人、1938年東京生まれ。早稲田大学西洋哲学科を中退し、1960年代の後半にナナオサカキ長沢哲夫らとともに、社会変革を志すコミューン活動「部族」をはじめる。1973年、家族と、インド、ネパールへ1年間の巡礼の旅に出る。1977年、屋久島の廃村に一家で移住。以降、白川山の里づくりをはじめ、田畑を耕し、詩の創作を中心とする執筆活動の日々を屋久島で送る。1997年春、旧知のアメリカの詩人、ゲーリー・スナイダーとシエラネバダのゲーリーの家で再会。ゲーリーとは、1966年に京都で禅の修行をしていた彼と会ったのが最初で、そのとき、ふたりは1週間かけて、修験道の山として知られる大峰山を縦走している。ゲーリーがアメリカに戻り、三省はインドへ、そして屋久島へ移住したため、長い間交流がとだえていた。三省は、ゲーリーの近年のテーマがバイオリージョナリズム(生命地域主義)であることを知り、自分が20年来考え続けてきた、「地球即地域、地域即地球」というコンセプトとあまりに近いことに驚いたという。2001年8月28日、屋久島にて亡くなる。

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震災から1年半を迎える~暑い夏に想う。

 先日のイーツ・アーツに、いわきの小名浜から、パンを求めに来て下さった方がいました。

遠路をわざわざお越しくださったことに感激し、また、福島での生活に私どものパンが加わることを想像すると、とても嬉しく思いました。もっとお話ししたかったし、お名前をお聞きすればよかったと後から思いました。

私の長女も昨年福島へ嫁ぎ、郡山で暮らしています。福島を身近に思っていますし、HappyIslandになってほしい。
I love you baby,Fukushima・・・

 

 今年の6月くらいから、ぜったい原発の再稼働を止めるべき!と、強く思うようになり、行動をはじめました。毎週金曜日の首相官邸前のデモには、金曜日がどうしてもパンの仕込み日のため参加できないでいました。

やっと7月16日の海の日、代々木公園での集会&パレードに参加し、日本を守りたい国民の強い意思表示を肌で感じました。

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7.16さよなら原発集会@代々木

 

次に夫と次女を誘って、国会議事堂の大包囲に出向きました。

なんと、芸大彫刻科の先輩夫婦である安藤さん率いるアーティスト仲間と合流!前列左から2人目が栄作さん、隣が浩子さん、その後ろが私、右隣が夫の剛、そして次女萌子。なんと卒業以来25年ぶりの同級生とも再会!

Ando17.29国会大包囲@日比谷

 

 安藤一家は、大学卒業後もずっと家族で交流し続けている親友でもあり、同じころに結婚、育児、田舎暮らし、ローフード生活・・・と、価値観が似ているためか、不思議と似たような道を歩んでいる。 (3年前の記事参照)

幾度かの移転を経て、私たちは茨城県に定住したが、彼らは福島県いわき市の海沿いに住んでいた。

そして・・・3.11の地震と津波で、家も愛犬も、これまでの彫刻作品も失った。
今は奈良県に避難移住し、明るくたくましく生活し、精力的に制作活動をしている。

 

7.29は、デモ参加のためにわざわざ奈良からやってきたのだ。

彫刻作品はもちろん、時折新聞等に寄稿している文章でも彼の表現は読む人の心を揺さぶる。

そんな心の友の彼らと東京で再会でき、感無量でした。

彼らの前向きさに触れ、私たちよりもはるかにつらい経験したはずなのに、逆に励まされ元気をもらった気がします。
私たちにできることは日常の中にもあり、少し視点を変えてみたり、少し勇気を出して行動したりすることで何かを発見し、多くの人と繋がってゆくことなんだ・・・・・と今想うのです。

アーティストとしての決意と、命への優しさがこもった彼の文章を紹介します。

 

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 3・11を超える作家たちへ

 大自然の中で彫刻を作って生きていきたいと福島県いわき市に移住したのが20年前。15年間を山で暮らし、5年前からは海沿いの小さな町に住んでいた。

我が家は夫婦そろって彫刻家のため、ご多分に漏れずもう長い間経済的に大変な生活を送ってきた。自分たちの存在のしかたと今の社会システムが噛み合わず、その歪みをたくさん受けてきた。精一杯仕事をしても見返りはほんのごくわずか、使ったエネルギーのほとんどは宇宙の何処かへこぼれ落ちているのではないかと思っていた。2010年には差押えも受けて、その生活に限界が近付いていた。

 

大地震の起こる10日ほど前、お茶を飲みながら夫婦でこんな話をいていた。「もし、全てが無くなるとして、1つだけ残したいものって何かある?」「1つだけか・・・浩子は?」「そうね、家族のアルバムかな」「俺はアルバムもいらないな」その頃私は家にある彫刻をみんな海岸に持って行って焼いて大地に還すプロジェクトを考えていた。社会システムとの歪みで溜め込んだ歴史を一度リセットしたいと思っていた。

 

 3月11日、その日久しぶりに高校生の娘も連れ立って家族で街に繰り出した。友人の個展を観た後、近くのショッピングセンターの2階で店を冷やかしながら歩いていた。私達の2時46分はその時だった。

その日の夕方、海岸から15mの所にあった自宅は家財や道具、たくさんの作品達もろとも津波と火災で無くなってしまった。空き地に止めた車の中で積んであった搬入用の毛布にくるまって一夜を明かした。翌日、食料やガソリンの調達をしながら避難所の情報を得るためにカーナビのテレビを見ていると、突然原発が爆発した。直後、私達はその場に一緒にいたごく少数の友人達と「必ずまた生きて会おう」と約束をし、かみさんの実家がある新潟に向けて出発した。

Ando3              瓦礫の平原

 自宅を確認しに戻れたのはそれから3週間後のことだった。東京で大学生活を送る長男をいわき駅で拾い、家族4人で現場に向かった。大好きだった海沿いの町はまるで爆撃の後のようだった。焼けた臭いと吹き抜ける放射能混じりの北風に町から命のときめきが消えていた。

流失した自宅の前で呆然としていると、娘が小さな箱を見つけて持ってきた。開けてみると中から小さなお人形と着せ替え用の洋服が出てきた。それは娘が幼かった時、かみさんが彼女に作ってあげた木彫りのお人形だった。泥ひとつ付いていないそのお人形は何事もなかったかのように微笑んでいた。

人々の心が繋がり織りあがった海沿いの小さな町。今は瓦礫の平原となったその町を以前の記憶を頼りに家族4人で歩いた。一通り町を回り、そろそろ帰ろうかという時、瓦礫の上に見覚えのあるものを見つけた。なんとそれは息子が小さかった頃、私が彼に作ってあげた木彫りの車の玩具だった。その頃家族で乗っていた小さなワンボックスカーがモデルで、ミニカーでは売っていなかったものを手作りしたのだった。小さな車の玩具は私たちが帰る前に「そろそろ帰るのかい」と、ひょっこり挨拶しに出てきたように見えた。

不思議な感覚だった。仕事でがつがつ作った大小数百体はあったであろう彫刻達が破壊され無くなり、子供たちに作ってあげた小さくか弱いお人形や玩具が目の前に残っていた。振り返ると瓦礫の平原の中に地元の人が大切にしてきた小さなお社がなぜか無傷で立っていた。

Ando_2              残ったお社

存在する本当の力とは何なのだろう。それはこの先の世界をどういう心で、どういう波動に身を置き生きていけばいいのかというメッセージのように思えた。結局私達は何も拾わず、全てそのままに大地にお花とお線香をたむけて帰路に着くことにした。

 その後2か月近く、本当にたくさんの方の愛とご支援の中、避難先を転々としながら制作や発表をこなし5月の末に奈良県の明日香村になんとか着地することになる。この間の事を話し始めると、それだけで原稿用紙数十枚の報告書になってしまうので、ここでは触れないでおくが、私のこれまでの人生でこれほど「ありがとう」という言葉をたくさん口に出した日々はなかった。そしてその言葉のおかげで自分の魂が次第にきれいになっていくのも感じていた。

 明日香に避難移住し、ほんの少し日常が回り始めた頃、かみさんがつぶやいた。「子供達に幼かった頃の写真くらい残してあげたかったな」それから間もなくして小さな小包が届くことになる。いわき市にボランティアで入っている東京の方からで、久之浜でアルバムを見つけ、無断で持ち帰りクリーニングをしたのだという。写真の中に私の名前を見つけ、友人とネットで調べまくり送ってきたのだ。

包みを開けると、そこには津波でボロボロになった写真たちがクリーニングされ丁寧にビニールに入れられ入っていた。どの写真も子供たちが幼かった頃のものばかり。いったい天はどこで聞き耳を立てているのだろう。

震災前、勝ち負けの生き残りの世界で分断されていた人々の心が、あの日を境に何かを想い出したように繋がり始めている。メッセージはそれぞれの立ち位置の人々の手をバトンのように渡り、宇宙を回って必要としているところへ必要としている時に届けられている。

 

 さて、私達アーティストには今何ができるのだろう。あらゆるものが経済というプールに浸かり、生きることが勝ち負けのゲームのように扱われてきた近年。アートの世界も素直にその影響を受け振舞ってきた。一部のアーティストはそのプールで水を得た魚のように泳ぎ回り、また一部のアーティストはその水が合わず、生気を失い居場所を求めて喘いできた。

3・11というウエイクアップコール。想像を絶する破壊と感情の揺さぶりの中、私たちは何に気付き何を想い出そうとしているのだろう。もはやアートゲームの波動では時代や人々の魂を支えることはできないだろう。すでにプールにはひびが入り、その外に広がる大海から海水が流れ込んできている。

あの日以来多くの人が遠くから想いを寄せ、また直接被災地に入り活動を続けている。それはヒラヒラと変化する社会の流れにあって、せめて自分の人生の中で1つでも確かなものに触れたいという自分自身へのアクションだ。

彫刻家の佐藤忠良先生からシベリア抑留の話をお聞きしたことがある。食べ物がない中、生き残った人に共通のことがあったという。それは屈強な体ではなく、詩や文章を書いたり、絵や工作をしたり、歌を唄ったり、何か自分でできることを持っていた人たちだった。アウシュビッツの記述にも似たようなものがある。出所の日を指折り数えていた人はその日が来て出所できないと翌日から次々と亡くなっていった。そんな中、創造的な行為を持っていた人はしぶとく生き残ったという。人間という存在を支えている最も中心にあるエネルギーとは結局内なる魂の光なのかもしれない。

 変化は始まったばかりだ。まだまだ大きな災害も続くかもしれない。また、私たちが知らなかった歴史や科学の真相が明かされ、戸惑いと混乱の社会に身を置くこともあるかもしれない。そんな時アーティスト達はその直観力とイメージ力、そして強じんなデッサン力で歴史や空間の全体像を見極め、人の存在の骨格となるメッセージをこれでもかというくらい世界に贈り出してほしい。                         安藤栄作 彫刻家

Ando4瓦礫の中から見つけた作品「Being」の破片

 

想いはひとつ・・・ にほんブログ村 料理ブログ ローフードへにほんブログ村 家族ブログ 大家族へ

 

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夏季限定の夜間営業、“ローフード・ナイト”やります!

 梅雨が明け、いよいよ夏本番です。
あまりの暑さに食欲もなくなるこの頃、ローフードは強い味方となってくれます。

胃腸も弱るこの時季に、ローフードにトライしてみませんか?

そこで、いつかやってみたかった夜のディナー会を、月一回ですが決行いたします!!

7月から10月の毎月第3土曜日は、ディナーの日、
ローフード・ナイト!

お時間は18;30~20:30(ラストオーダー)

今週の土曜日、21日から開始します。予約制ですので、前日までにお電話を!
ローフードのコース料理をご用意します。¥3000

通常のランチタイム営業/11:00~14:00(L.O)もありますよ。

毎月、第2&第4土曜日は、オーガニック・ファーマーズマーケットを恒例で開きます。

お問い合わせを多数いただいておりますローフードスクールですが、いよいよ
ローフードマイスター2級講座の募集をしたいと思います!

日程は、8月1日(水)に初回を行い、参加者の都合に合わせ、8月中に2回目をいたします。1日4時間×2回でおこないます。

今回は3名を募集しますので、気になる方はお気軽にお問い合わせください。

info@eatsarts.com 029-353-2523 イーツ・アーツまで。

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Raw Food Nightでぜひローフードのディナーをお楽しみください!

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楽しかったです!賀恵さんの「デトックス法」セミナー。

 7月1日(日)は、東京から講師の羽田賀恵さんを招いてDetoxセミナーを行いました。

私たち家族は、2009年6月からローフード生活を続けてきました。2年目まではローフードを「食べる」ことで起こってくるカラダやココロや人生の変化をワクワク楽しんで、じゅうぶんやってきた感があり、3年目にはローフードが私たちの普通の食事としてすっかり定着しましたが、中だるみ?感があって、「出す」方法を習得したいと、つらいデトックスを何度も試した時期もありました。

4年目に入った今、昨年の原発事故により、さらに食べ物の選択に気を使う生活になりましたが、ローフードを食べ続けることがゆるいデトックスだと思いながら、放射性物質の排出に有効だとされる、味噌、海藻、玄米、塩、発酵食品なども意識して摂るようになりました。

そんな折、たまたまクレイについて興味がわき、「粘土食」の本を読んでいたのですが、チェルノブイリやスリーマイルでも実践されたというクレイセラピーの方法を、ロースイーツの製造販売の会社を立ち上げた、NamaKissショコラ代表の羽田賀恵さんが東京で講座を開いていると知り、ご縁が繋がりました。

前置きが長かったですが・・・それでこの度、東京以外で初のクレイセラピー講座を茨城でやっていただいたのです!

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東海原発も気になるエリアなので、みなさん真剣でした。

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「クレイセラピー」の他に、「ホメオパシー」「ジュースファスティング」「コーヒーエネマ」「ひまし油パック」といった、相乗効果の得られるデトックス法を伝授していただきました。

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賀恵さんがアメリカで学んだたくさんの知識を、今、必要としている人たちにシェアしてくださいました。
自宅でできる、体内から毒素の排出を促す自然の力を借りたデトックス法を学ぶことができ、みなさん大満足でした。

さあ、ローフード大家族島ファミの今後はどうなるでしょう~。

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